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養老天命反転地のことを
「荒川修作の人類補完計画の一つ」
「うどん屋の鬱病小倅のシンデレラストーリーの結末」
「現代人のリハビリセンター」
などと私は言っていたが一度も行ったことはなかった。
今月末に初めて養老天命反転地に行く。
私が荒川修作を知ったのは33年前。
20歳の時、芸術新潮の巻末広告に掲載されていた『意味のメカニズム』の広告にぶっ飛んでしまった。
早速、「ギャラリーたかぎ」から『意味のメカニズム』を取り寄せた。
HG平成明朝体W9『意味のメカニズム』 昭和55年には平成明朝体はない。
『意味のメカニズム』荒川修作/マドリン・H・ギンズ
出版社:ギャラリーたかぎ 発行年:1979年初版 単行本 99ページ
少し前に篠原有志男の『前衛の道』を読んで「ネオ・ダダ・オルガナイザーズを除名された荒川修作」を知っていたが。
その頃の私は岡本太郎の対極主義や花田清輝の『復興期の精神』「楕円幻想 」を読んで図式に酔っていた。
「進行中の著作」と訳された「Work in progress」にも初心な私はぶっ飛んでしまった。
そして、私は荒川修作から概念の白紙還元の方法を学んだ、と思っていた。
荒川修作はこうしてBIGになった。1936年、名古屋市のうどん屋に生まれる。
1958年、読売アンデパンダン展に初出品
1961年、ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズのメンバーにされる。
1961年、瀧口修造、海藤日出男(読売新聞社美術記者)、東野芳明、出光孝子(東野芳明夫人、出光佐三の娘)、
出光佐三(出光興産の創業者)、岡本太郎など、彼らの御指導御鞭撻、バックアップで渡米し、マルセル・デュシャンに接近する。
マルセル・デュシャンが荒川修作を絶賛することでジョン・ケージ、アンディ・ウォーホル、小野洋子、靉嘔などと交流する。
1962年、マドリン・ギンズ(妻)と共同制作を始める。
1970年、ヴェネツィア・ビエンナーレで代表作となる『意味のメカニズム』を発表。
1972年、同作のドイツでの巡回展示を見た物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクから賞賛され、ギンズとともにマックス・プランク研究所に招待をうける。
その後、人類補完装置を各地に建築する。
2010年5月19日、死なない荒川修作はニューヨーク市内の病院にて死去。73歳没。
先日、宮崎駿は引退宣言をしたが、宮崎駿は過去に荒川修作に傾倒し引退宣言したことがある。
「バカに理屈を言っても通じない。身体で分からすしかない」的施設。
案外、バカは知っている。
UDON WITHOUT SAUCE!総工事費約14億円(養老天命反転地:11億7,000万円・養老天命反天地館:2億1,000万円)の養老天命反転地に行くのが楽しみだ。
- 2013/09/12(木) 11:27:15|
- AHO YANOO!
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