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4月4日、日本海で急速に発達した爆弾低気圧(meteorological "bomb")による春の嵐が弱まる中、福井県へ向かった。
丸岡城、東尋坊、永平寺を観光した。
丸岡城一写啓上 私製の「絵はがき」の書き出し
一筆啓上丸岡城付近では「一筆啓上」の文字が非常に多く見られるが、「簡単に申しあげます」の意で、男子の手紙の書き出しに使う語。
日本一短い手紙として有名な「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」、「お仙」は当時幼子であった嫡子仙千代(本多成重・後の丸岡藩主)のことで、父の本多重次が天正3年(1575年)の長篠の戦いの陣中から妻にあてて書いた手紙である。
ただ、手紙の原文は「一筆申す 火の用心 お仙痩さすな 馬肥やせ かしく」である。
北陸地方で唯一現存する丸岡城の天守は現存最古の天守とされることがあるが、犬山城天守との論争がある。
1576年(天正4年) 織田信長の家臣柴田勝家の甥である勝豊により築城され、明治維新まで城主がめまぐるしく変わるが築城から48年後1624年(寛永元年)6代目の城主となるのが本多成重(お仙)である。
- 2012/04/06(金) 16:06:31|
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