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レオナルド・ダ・ヴィンチの『人生論・快楽と不快』を90度回転(反時計回り)させ、マルセル・デュシャンの『大ガラス』を透かして重ねてみると。
レオナルド・ダ・ヴィンチの『人生論・快楽と不快』
男というものは女が自分の欲する色欲に屈しやすいかどうか知りたくてたまらない。
それでそうだということがわかり、女が男を欲しがるとすぐさま女に頼んで自分の欲望を実行にうつす。
しかも女が白状しないかぎり女の気持ちが分らない。白状したらあわてる。
これはまさに「不快」を伴う「快楽」である。お互に決して離れることがないのだから、双生児として描いてある。二人は同一の土台を持っているのだから、同一の胴体の上にすわっているように描いてある。
というのは快楽の土台はこのとおり不快を伴う労苦であり、不快の土台もこのとおり様々な放埓な快楽である。
そこでここには右手に竹を握っているところが描かれている。なぜかなら竹は空虚で力がないがそれで刺された傷は毒を帯びるから。
〔竹は〕トスカナではベッドの脚に用いられるが、ここではかない夢が織りなされ、ここで一生の大部分が消費され、ここに非常に有益な時間すなわち朝の時間が投げ込まれる―朝は精神爽快で十分休息をとって居り、肉体も新しい労働を再開するのに適している―ことを意味する。なおまた其処では幾多のはかない快楽、自分に不可能なことを妄想する時は精神の快楽、あるいは生命取りになりやすい例の快楽をあじわうときには肉体の快楽、味わわれる。
このようなわけでベッドの台としての竹を握っているのである。
画家のような馬鹿が嫌いだったデュシャンはダ・ヴィンチを選んだ。
『彼女の独身者によって裸にされた花嫁さえも』、『人生論・快楽と不快』を下敷きにした。
ダ・ヴィンチの『アトランティコ手稿』のような『彼女の独身者によって裸にされた花嫁さえも』
①機械仕掛け、メカニズム
②解剖、裸、骸骨、機械
③水の関すること、液体、気体、エネルギー
④エロス、人生
テーマ:現代美術 - ジャンル:学問・文化・芸術
- 2008/04/04(金) 12:43:13|
- AHO YANOO!
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